もし、10年前に、金本監督が阪神の指揮を執っていたら...その②。
昨日の続きである、選手の自主性よりも、課すること。について書いていきたいと思います。
昨年、阪神の2軍監督を務めていた掛布監督が契約満了として、退任しました。
その退任の背景には、金本監督との指導方針の違いがあった...というのは有名な話です。
金本監督は、選手に練習を課す。
掛布元2軍監督は、選手の自主性に任せる。
この指導方針のズレが、掛布元2軍監督の退任となった決定的な理由であったのかもしれません。
しかし、よくよく考えてみると...
昨年ホームラン19発でブレイクした中谷選手、代打で貴重な戦力となった伊藤隼太選手を筆頭に、一昨年前に育成から一気に一軍の主力となった原口選手、新人王を獲得した高山選手もプロとしてのスタートは掛布元2軍監督のもとで指導を受けています。
この3年間の阪神タイガースでブレイクした若手の裏には、2013年の秋季キャンプから、ゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として若手育成にかかわってきていた掛布元2軍監督の存在がありました。
その後を引き継いだ矢野2軍監督も、選手の自主性を尊重し、個性を引き出す指導法でファーム日本一を達成しています。
掛布、矢野両監督の指導法に共通する「自主性」。
この「自主性」に代表されるもう一つの例が、今年、埼玉西武ライオンズを10年ぶりのパ・リーグ制覇に導いた辻監督です。
以前書いた記事でも少し触れましたが、埼玉西武ライオンズの辻監督も選手の自主性を尊重し、選手達が伸び伸びとプレーできる環境作りを大切にされていました。
結果、記憶にも記録にも残る破壊力抜群の打線でパ・リーグを制することに。
この埼玉西武ライオンズのパ・リーグ制覇と阪神2軍のファーム日本一から、選手の「自主性」を重んじる指導法が、今の時代に適していると見て取れます。
それに対して、金本監督率いる阪神1軍の指導方針は、「自主性」よりも選手達に「課する」方針でありました。
その結果、若手選手が2軍から上がった一年目の年は活躍できても、2年目以降は伸び悩むジンクスが生まれてしまいました。
そのジンクスが生まれた背景には、1軍と2軍の指導法であり、選手に対する接し方に違いがあったのではないでしょうか?
そして、金本阪神が掲げた3年間の「徹底した練習量」に「選手に課する」指導方針は、今の時代で結果が出ている広島カープ・埼玉西武ライオンズ・阪神2軍と真逆の方針であったため、17年ぶりの最下位という結末を迎えてしまった...
ですが、タイトルにもあるように、もし、10年前に、金本監督が阪神の指揮を執っていたら、結末は違っていたのかもしれません。
まだ10年まであれば、金本監督が求める「徹底した練習量」や「課する」という方針は時代に適しており、戦える魅力的なチーム作りができていたのではないかと...思えてきます。
そう。
「もし、10年前に、金本監督が阪神の指揮を執っていたら、優勝できていた。」
...のかもしれない。
という妄想じみた考えも浮かんだので、今回の記事にしてみました。
(勝負の世界に、たらればはありませんが...)
今年の野球界の流れを見て、どの業界でも、どのような物事でも、その時代に合ったことに適していると、自然と結果がついてくる。
逆に、その時代に合ったことを見つける目と、適応力が重要であることにも気が付かされました。
来季のセ・リーグは、巨人のレジェンドである原監督の再登板に、阪神も2軍監督に就任して1年目でファーム日本一に導いた矢野監督の就任が決まり、また新たな盛り上がりを魅せるでしょう。
次に、どの監督が時代に求められ、適応していくのか、非常に楽しみであります。